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2004年 05月 06日 ( 1 )


2004年 05月 06日

ズラはホラーか?コメディか?

「笑いと恐怖は紙一重」とは、非常に本質を突いた表現だと思う。
『洗礼』や『漂流教室』のようなホラー漫画の第一人者でありながら、
『まことちゃん』のような超一流のギャグ漫画も書いてしまう楳図かずおは、
「笑いと恐怖は実は似ている。いや、恐怖から見れば、笑いは恐怖の一ジャンルといってもいいかもしれない」(『恐怖への招待』河出書房新社/刊)と言って
いるほどなのだ。
笑いと恐怖。その似て非なるものを分ける一枚の紙は、一体どんなものなのか?

知り合いが勤めていた会社に秀逸なエピソードが伝わっている。
その会社は、全国的にも割と名前の通った企業。
数年前のこと、そこにAさんという役員さんがいた。叩き上げの実力派で、
現場への影響力は絶大。次期社長の噂も高く、たまに役員室から現場社員が働く
フロアに出てくると、誰もがピリピリ緊張して、直立不動となるほどだった。
港区に一軒家を持ち、サラリーマンとしては最高の自由を手にしたAさん。
そんなAさんにも、一点だけ不自由なことがあった。
Aさんは「ズラ」だったのだ。
Aさんが「ズラ」であることは、社内では誰もが知る事実だった。
しかし、やっかいなことに、Aさんは、「知るは絶対に自分のみ!」と信じて疑っていなかった。
そこが社員の恐怖の始まりだった。
毎年、Aさんは、衣替えの時期になると、季節に合わせてズラを替えた。
そして、ズラをチェンジする前日になると、一日かけて本社の全フロアの
すべての部署を訪れて、ズラの衣替えを不自然に思われないための特殊工作を
行うのだった。特殊工作は、かなり直球勝負だった。
その日に限り、Aさんは、普段なら一瞥もくれないような下っ端の社員たちにも
気さくに喋りかけるのだった。
「君、元気かね?ふむふむ。そうか?それにしても暑くなってきたね。
そろそろ‥‥衣替えの季節だね。あっ、そうだ。髪型も変えなくちゃいかん。
こう暑いとな‥‥‥さっぱりした髪型にしなきゃいかんな‥‥‥」
話しかけられた社員は、まるで地獄の責め苦にあっているようである。
ただでさえ、緊張を強いられる役員が自分に話しかけてくるのである。
しかも、「髪型‥‥髪型‥‥髪型」と、社内では最大級のタブーであるズラを
意識させるコトバを連発する。
「ズラのことを知らない振りをしなけりゃいけない」
「Aさんの髪の毛を前にして自然なリアクションをしなければいけない」
爆発秒読みのプレッシャーが体内を駆け巡る。心臓がバクバクと鳴り、手のひらに汗をかき、喉が乾き、もう倒れそうになる。
そんな時、Aさんは、とどめの一言を発するのです。
「さあ、わしも明日あたり散髪に行こうかな」‥‥‥と。
その一言を吐き出したAさんは「これで、こいつには、ズラの模様替えを怪しまれずに済むわい」と、心の内側で呟くのでしょうね。最後のコトバを言われた社員は、すんでのところで死刑執行が取り止めになった囚人のようになって、後は、Aさんが去るのを待ってへたり込むだけ。
そして、Aさんは、隣のセクションに行って、また同じ芝居を繰り返します。
もちろん、新しく捕まった社員は、頭の中クラクラしながら、恐怖のどん底で
ズラのことを知らない演技をするのです。ズラが網膜に映っても、疑念を浮かべてはいけない。つまりは、自分に嘘をついているわけで、かなり辛い行為です。

少し長くなりましたが、たとえば、このようなエピソードでは、笑いと恐怖が
紙一重で隣り合っています。その違いは?
エピソードの当事者の立場になると「ホラー体験」でしかないが、
エピソードの部外者の立場から見ると「コメディ体験」となる。
つまり、ある極端なエピソードを他人事と思えるか思えないかが、笑いと恐怖をわけるポイントとなっているのです。
それは、道で滑って転んだ人を見ると「オカシク」思うのと同じことです。

このような「笑いと恐怖」の類似点について考えると、コメディについて深く
考えるきっかけになるのです。
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by yasunari_suda | 2004-05-06 01:48 | コメディの技術