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2004年 05月 03日

戦争を笑うフリージャズ

久しぶりの土地を訪れるという行為は、コメディ的だと思う。
4月の中旬、出張でロンドンを訪れた時、はじめて海外でも使える
ケータイ電話を持っていった。そのおかげで‥‥‥‥‥
赤い二階建てバスに追い抜かれながら舗道を歩いている時などに、ふと、
「うちのネコ元気かな?」などと思い浮かんだら、その場ですぐに電話を
掛けてネコの鳴き声を聞けるという体験を初めてしたのだった。
それで蘇って来たのは、ケータイ電話の有り難みというか、ケータイ電話を
初めて使った時の感動だった。その感覚は、さらに遡って、ロンドンに住んで
いた10年前のことに辿り着いた。その頃は、日本とのやりとりは、まだ手紙を
多用していた。仕事などだとFAX。電話も現在のような格安サービスはなく、
おそるおそる使ってたっけ。
要するに、「今の自分にとって当たり前だと思えること」なんて、案外、
少し時間を遡ってみると、歴史の浅い、新参者だったりするのだ。
そんな感じのものってケータイ以外にどんなものがあるだろう。
たとえば‥‥‥ミネラル・ウォーター。いまではエビアンとか何とかのおいしい水とか、ペットボトルに詰められたの飲料水をコンビ二などで買って飲むのは、当たり前になっているけど、20年ほど前、ぼくが高校生だった頃は、「水に
わざわざ金を払うなんて!」考えられないことだった。学校には麦茶を詰めた
水筒を持っていっていた。
そんなことの事例を挙げればきりがないけど、最近とてもショッキングなことに
気がついた。
それは‥‥‥いつの間にか「戦争」が身近になっているということだった。
15年前、1989年、旧・東ヨーロッパの共産主義国家が次々と民主化して、
ベルリンの壁が崩れた頃、ぼくは大阪でTVの仕事を始めたばかりだったけど、なんとなく「この先、世の中平和になる」という楽観ムードを感じながら生きて
いたように記憶している。もっとも、その頃は、バブル経済のピークで、景気が良過ぎたせいもあって、あまり悲観的なことを考えるムードが世の中になかったせいもあると思うけど。
しかし、驚きなのが、それから15年。そんな予想とは真逆なくらい、世の中の戦争ムードが濃くなっている。
冷戦構造が安全保障となっていた地域における民族間紛争、グローバリズムと
ファンダメンタリズム(原理主義)の摩擦が原因となる戦争やテロなど、
世界は、戦争のショーケースとなってしまった。
「この温泉は万病に効く!」と言われていったのに、泉質があわなくて、
かえって満身創痍のボロボロ状態になってしまったような「え〜っ!!!」と
いう感じなのだ。
戦争が身近に感じられるようになった理由には、戦争の頻発以外に、メディア
状況の変化もある。CNNやアルジャジーラなどのニュース・チャンネルが、戦場をリアル・タイムで伝えるようになるなんて、1992年の第一次湾岸戦争以前には、筒井康隆の小説の中にしかないようなSF的なものだったから。
2001年の9月11日に、ニューヨーク貿易センタービルにジャンボ機が
突っ込んで倒壊することが現実に起こるなんて、なかなか想像できるもんじゃ
なかったわけだし‥‥‥。
21世紀は、そんなメディアの有り様も含めて、また新しい戦争の時代となっている気がしてならない。
となると、世の中の映し鏡である「コメディ」も、また「戦争」なのではない
だろうか?と、コメディを考えることに取り憑かれているぼくは思ってしまう。
このブログでは、「コメディ」と「戦争」を合わせて考えることも続けたい。
実は、「コメディ」と「戦争」は、すでに、いろいろせめぎあっている。
例の日本人3人がイラクの武装勢力に捕われた時、『AERA』の中吊り広告から駄洒落まじりの「1行コピー」が消えた。「金ちゃんのテポドーン‥‥‥‥と
いってはダメ‥‥‥」などが割と好きで、毒のある社会派ネタを珍味に仕立てる腕のいい職人の存在に注目していたのに、「日本人が戦争に巻き込まれた」という毒には手も足も出なかったらしい。なんだかまるで、信頼している割烹の大将に「実は、トラフグ怖くてさばけません(涙)」と告白されたような‥トホホな感じだった。もちろん、戦争と笑いの共存が簡単なはずはない。しかし、そんな事態に出くわすと、猛毒ネタを笑いに変える本物の職人仕事に触れたくなるのも人情だ。誰かいないか?本物は?私の頭に真っ先に思い浮かんだのは、伝説のスタンダップ・コメディアン、レニー・ブルースだった。
1966年に40代前半の若さでドラッグが原因で逝ったレニー・ブルースの人と笑いは、ダスティン・ホフマン主演の映画『レニー』に濃密に描かれている。
笑いを求めて集まった観客を獲物を捕らえた猛禽類のように眺めるレニーのシルエットが逆光のスポットライトの中に浮かび上がる
冒頭部分は圧倒的。レニーの遺伝子が、後に夭折するジミ・ヘンやジョン・ベルーシにも受け継がれているのがわかった。
1923年、三島由紀夫より2年前にニューヨークの下町ブルックリンでユダヤ人の母親から産まれたレニーは、戦争を笑い続けたコメディアンだった。アメリカ海軍の戦艦ブルックリン号の砲兵助手として19歳から第二次大戦に参加。北アフリカ戦線でナチスドイツ軍との激戦に巻き込まれ、数え切れないほどの死と遭遇した。3年目にドイツ軍の猛攻によりナポリ湾に閉じ込められた時、レニーは、最初のカウンター・カルチャー的パフォーマンスを試みる。それは、わざと女性兵士のコスプレをして艦上を練り歩くことだった。結果は、精神鑑定を経て除隊に成功。ニューヨークに舞い戻り、コメディアンとなるが、平和を期待して舞い戻った戦後のアメリカが、彼には、笑い飛ばすべき対象の余りにも多い戦場に見えた。キング牧師やマルコムXなどの黒人の地位向上を巡る戦争。自由を求める戦後派の若い世代と保守的な父親・母親の世代との戦争。そして、既に序章が準備されていたベトナムでの戦争。60年代の初頭、熟練の喋り手となっていたレニーは、当然のように戦争をネタにした。「オレは自分のガキにポルノを見せる。だって、ポルノには暴力シーンが出てこない。聞こえてくるのも、気持ちイイ声ばかりだ」と、戦争の温床となる暴力賛美の風潮を笑った。文章で見るとお固い説教のようだが、レニーの繰り出す言葉の連打は、紡がれ重ねられ、矛盾に満ちた時代を生きる観客の気持ちを笑いで解き放つフリー・ジャズだった。
レニー・ブルースの遺伝子が、21世紀に残っているとしたら、それはどんな
進化を遂げ、どんなカタチで現代に吹き出すことが可能なのかについて考え続けたい。もちろん、思いっきり笑わせてくれるフリー・ジャズ的なスタイルがいいな。
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by yasunari_suda | 2004-05-03 19:16 | 戦争と笑い


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