カテゴリ:戦争と笑い( 4 )


2008年 05月 28日

戦争と笑いを考える時期なのかも知れない。


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昨年2007年度も全国の自殺者数は、3万人を上回ったという。
ニッポンは、経済大国の座から急速に滑り落ちつつある一方で、
自殺大国の座は、ピクリとも揺るがない確固としたものになってしまっている。
いまのニッポンは、現実のブラックコメディ大国でもある。
悪い冗談の宝庫。

自殺者がここまで増えた理由は、
やはり経済的な原因が大きいに違いない。
行き過ぎた資本主義が、少なくない人数の人たちを追いつめ、
居場所を失わせてしまっている。
昨年ネットで読んで仰天した記事には、
消費者金融から借りた借金を返せなくなった人が、
生命保険をかけられて命と引き換えに返済をさせられるというものもあった。
須田慎一郎さんの著書「下流喰い ー消費者金融の実態ー」(筑摩書房)を読むと、
この国が、或る種の戦争状態に突入しているという気さえする。
10年で30万人が戦火に散る特殊な戦争。

「コメディは、コモンズである」という考えを持つ私としては、
やはり、テレビやラジオ、ネット、雑誌、広告で展開される笑いには、
もっと、社会に恵みを与える要素が増えて欲しいと思う。
「モンティ・パイソン」のように社会の一般通念を疑ってかかる笑いが、
マスメディアにピザのトッピングのマッシュルームくらい散りばめられれば、
自殺を取り巻く社会状況は変化するのではと何となく想像してしまう。

そんなコメディも、ぼちぼちネットで展開してみますね。
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by yasunari_suda | 2008-05-28 02:04 | 戦争と笑い
2005年 02月 14日

母校が殺人現場に

夕方、家族で出産祝いのお礼を渡すために、
映画人などの多く集う、経堂の赤提灯・太郎へ。
ユニークな大人が多く、いい雰囲気。
相変わらず安くて美味い。

カウンターにあるTVがショッキングなニュースを伝えていた。
「大阪府寝屋川市の小学校で17歳の少年が教師を刺殺。
その少年は卒業生らしい」と、
そして、昼間ヘリコプターから撮られた、その学校の空撮を
見たとき、ピンと来て同時に驚いた。
寝屋川市立中央小学校。
ぼくが入学して3年ほど通っていた学校だったからだ。
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by yasunari_suda | 2005-02-14 03:38 | 戦争と笑い
2004年 12月 06日

コメディ・ウイルスは時を越え場所を越え移動する

COMEDY at WAR〜戦時こそ笑い〜須田泰成

今年の6月に出版された翻訳本『ドイツ人のバカ笑い〜ジョークでたどる現代史〜』(集英社新書)を読んでいると、面白いことが書かれてあった。この本は、第二次世界大戦が終了した1945年から1999年までの半世紀余りにわたってドイツで語られたジョークを3人のジョークの達人たちが集めたもの。当然、どのジョークも世相をビビッドに反映する歴史の生きた証拠である。とはいえ、集められているジョーク自体は、これまでに読んできたジョーク本と比べて特に新鮮ということもない。しかし、本の中に相当ガツンとくる一文があった。その文章とは‥‥‥一九四七、八年ごろに西側占領地域では新種のジョークが出まわりはじめた。純然たるナンセンスを特徴とし、イギリスないしはアメリカに起源を持つものである。休暇で一時帰国した占領軍兵士が故国で仕入れ、西ドイツに輸入したのだった。というもの。
これは、つまり、戦争による兵隊の行き来にくっついて、まるでウイルスのようにジョークが移動したということを意味する。同書には、若い英米軍兵士が、ドイツの若い娘の尻を追っかけ回すジョークが多く紹介されているが、おそらく、若い英米軍兵士は、若い娘の関心を引くため、駐留軍生活の娯楽のためにジョークを披露しあったのだろう。そして、
そのジョークが生み出した笑い声がドイツの空に響き渡り、いつしか土地のジョークとして根付いていったと推測する。
戦争がきっかけとなって笑いが異文化に伝搬されるなんて、非常に興味深い話である。昔、
歴史の授業で、8世紀の唐とイスラム帝国の戦いをきっかけに中国からイスラム世界に紙の製法が伝わり、それがさらには西欧に伝わり、グーテンベルグの印刷術の発明に結びついたと習った記憶があるが、ジョークもまた国境を越えて、直接なんのつながりもない異国の人を笑わせてきたのだ。
ここまで書いてきて一つ思い出した話がある。中国のジョークと戦争の関係性である。中国でジョークが発達したのは、実は、紀元前の春秋戦国時代のこと。当時、全国制覇を狙う野心ギラギラの諸侯たちが大勢いたわけだが、同時に彼らに策を説いて重用してもらおうと目論む遊説家たちも大勢いた。話をして気に入られたら、場合によっては、いきなり宰相に大抜擢!ということもあったというから、みんな必死で気の荒い諸侯たちの気に入るように熱く語ったことは想像に難くない。そして、そこで用いられたのが、笑いだったという。いきなりお固い政策や戦術を論じるよりも、まずはジョークで恐れ多い雰囲気を解きほぐし、戦国の世を生きる諸侯の猜疑心に富んだ鋭い目付きと固まったばかりのマグマのような表情をナイス&ウェルカムなスマイルにして、それから、じわりと自分を売り込むという高等テクニックが遊説家業界では試みられたのだ。遊説家たちは、戦国の世を旅しながら、もともと巷で語られていたジョークを拾い集め、書物に記し、諸国で語り、ジョークを元々の産地から遠く離れた場所に植え付けた。そのようにして残された、たとえば有名な韓非子の『戦国策』などは、実は笑い話でいっぱい。後に日本に渡り、江戸小咄、さらには落語に影響を与えたものもあるというから、戦争と笑いの関係は、なんとも奥が深い。
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by yasunari_suda | 2004-12-06 17:17 | 戦争と笑い
2004年 05月 03日

戦争を笑うフリージャズ

久しぶりの土地を訪れるという行為は、コメディ的だと思う。
4月の中旬、出張でロンドンを訪れた時、はじめて海外でも使える
ケータイ電話を持っていった。そのおかげで‥‥‥‥‥
赤い二階建てバスに追い抜かれながら舗道を歩いている時などに、ふと、
「うちのネコ元気かな?」などと思い浮かんだら、その場ですぐに電話を
掛けてネコの鳴き声を聞けるという体験を初めてしたのだった。
それで蘇って来たのは、ケータイ電話の有り難みというか、ケータイ電話を
初めて使った時の感動だった。その感覚は、さらに遡って、ロンドンに住んで
いた10年前のことに辿り着いた。その頃は、日本とのやりとりは、まだ手紙を
多用していた。仕事などだとFAX。電話も現在のような格安サービスはなく、
おそるおそる使ってたっけ。
要するに、「今の自分にとって当たり前だと思えること」なんて、案外、
少し時間を遡ってみると、歴史の浅い、新参者だったりするのだ。
そんな感じのものってケータイ以外にどんなものがあるだろう。
たとえば‥‥‥ミネラル・ウォーター。いまではエビアンとか何とかのおいしい水とか、ペットボトルに詰められたの飲料水をコンビ二などで買って飲むのは、当たり前になっているけど、20年ほど前、ぼくが高校生だった頃は、「水に
わざわざ金を払うなんて!」考えられないことだった。学校には麦茶を詰めた
水筒を持っていっていた。
そんなことの事例を挙げればきりがないけど、最近とてもショッキングなことに
気がついた。
それは‥‥‥いつの間にか「戦争」が身近になっているということだった。
15年前、1989年、旧・東ヨーロッパの共産主義国家が次々と民主化して、
ベルリンの壁が崩れた頃、ぼくは大阪でTVの仕事を始めたばかりだったけど、なんとなく「この先、世の中平和になる」という楽観ムードを感じながら生きて
いたように記憶している。もっとも、その頃は、バブル経済のピークで、景気が良過ぎたせいもあって、あまり悲観的なことを考えるムードが世の中になかったせいもあると思うけど。
しかし、驚きなのが、それから15年。そんな予想とは真逆なくらい、世の中の戦争ムードが濃くなっている。
冷戦構造が安全保障となっていた地域における民族間紛争、グローバリズムと
ファンダメンタリズム(原理主義)の摩擦が原因となる戦争やテロなど、
世界は、戦争のショーケースとなってしまった。
「この温泉は万病に効く!」と言われていったのに、泉質があわなくて、
かえって満身創痍のボロボロ状態になってしまったような「え〜っ!!!」と
いう感じなのだ。
戦争が身近に感じられるようになった理由には、戦争の頻発以外に、メディア
状況の変化もある。CNNやアルジャジーラなどのニュース・チャンネルが、戦場をリアル・タイムで伝えるようになるなんて、1992年の第一次湾岸戦争以前には、筒井康隆の小説の中にしかないようなSF的なものだったから。
2001年の9月11日に、ニューヨーク貿易センタービルにジャンボ機が
突っ込んで倒壊することが現実に起こるなんて、なかなか想像できるもんじゃ
なかったわけだし‥‥‥。
21世紀は、そんなメディアの有り様も含めて、また新しい戦争の時代となっている気がしてならない。
となると、世の中の映し鏡である「コメディ」も、また「戦争」なのではない
だろうか?と、コメディを考えることに取り憑かれているぼくは思ってしまう。
このブログでは、「コメディ」と「戦争」を合わせて考えることも続けたい。
実は、「コメディ」と「戦争」は、すでに、いろいろせめぎあっている。
例の日本人3人がイラクの武装勢力に捕われた時、『AERA』の中吊り広告から駄洒落まじりの「1行コピー」が消えた。「金ちゃんのテポドーン‥‥‥‥と
いってはダメ‥‥‥」などが割と好きで、毒のある社会派ネタを珍味に仕立てる腕のいい職人の存在に注目していたのに、「日本人が戦争に巻き込まれた」という毒には手も足も出なかったらしい。なんだかまるで、信頼している割烹の大将に「実は、トラフグ怖くてさばけません(涙)」と告白されたような‥トホホな感じだった。もちろん、戦争と笑いの共存が簡単なはずはない。しかし、そんな事態に出くわすと、猛毒ネタを笑いに変える本物の職人仕事に触れたくなるのも人情だ。誰かいないか?本物は?私の頭に真っ先に思い浮かんだのは、伝説のスタンダップ・コメディアン、レニー・ブルースだった。
1966年に40代前半の若さでドラッグが原因で逝ったレニー・ブルースの人と笑いは、ダスティン・ホフマン主演の映画『レニー』に濃密に描かれている。
笑いを求めて集まった観客を獲物を捕らえた猛禽類のように眺めるレニーのシルエットが逆光のスポットライトの中に浮かび上がる
冒頭部分は圧倒的。レニーの遺伝子が、後に夭折するジミ・ヘンやジョン・ベルーシにも受け継がれているのがわかった。
1923年、三島由紀夫より2年前にニューヨークの下町ブルックリンでユダヤ人の母親から産まれたレニーは、戦争を笑い続けたコメディアンだった。アメリカ海軍の戦艦ブルックリン号の砲兵助手として19歳から第二次大戦に参加。北アフリカ戦線でナチスドイツ軍との激戦に巻き込まれ、数え切れないほどの死と遭遇した。3年目にドイツ軍の猛攻によりナポリ湾に閉じ込められた時、レニーは、最初のカウンター・カルチャー的パフォーマンスを試みる。それは、わざと女性兵士のコスプレをして艦上を練り歩くことだった。結果は、精神鑑定を経て除隊に成功。ニューヨークに舞い戻り、コメディアンとなるが、平和を期待して舞い戻った戦後のアメリカが、彼には、笑い飛ばすべき対象の余りにも多い戦場に見えた。キング牧師やマルコムXなどの黒人の地位向上を巡る戦争。自由を求める戦後派の若い世代と保守的な父親・母親の世代との戦争。そして、既に序章が準備されていたベトナムでの戦争。60年代の初頭、熟練の喋り手となっていたレニーは、当然のように戦争をネタにした。「オレは自分のガキにポルノを見せる。だって、ポルノには暴力シーンが出てこない。聞こえてくるのも、気持ちイイ声ばかりだ」と、戦争の温床となる暴力賛美の風潮を笑った。文章で見るとお固い説教のようだが、レニーの繰り出す言葉の連打は、紡がれ重ねられ、矛盾に満ちた時代を生きる観客の気持ちを笑いで解き放つフリー・ジャズだった。
レニー・ブルースの遺伝子が、21世紀に残っているとしたら、それはどんな
進化を遂げ、どんなカタチで現代に吹き出すことが可能なのかについて考え続けたい。もちろん、思いっきり笑わせてくれるフリー・ジャズ的なスタイルがいいな。
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by yasunari_suda | 2004-05-03 19:16 | 戦争と笑い