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カテゴリ:[笑育日記]( 10 )


2008年 09月 14日

物書きの脳を刺激する九条ネギ大行進!

ちょっと喉がチクチク痛む。

ギャグ・アニメの発想が思うようにでない。

というか、現在、企画が、三つも重なってしまっているのだ。

風邪っぽいかなと思い、保育園に娘を迎えにいった帰り道、

スーパーで晩飯の材料に九条ネギとレンコンを買う。

ネギとレンコンのスープ と ネギ入りの出し巻き卵を作るためだ。

風邪気味の時に食べると効果テキメンである。

が、カゴにネギを入れると突然、4歳になったばかりの娘が、

「わー おーネギー」と、叫び、ラグビー選手のようにネギをゲットして、

一目散に走りはじめた。クレヨンしんちゃんのように興奮している。
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一瞬どーかとは思ったが、

オモシロイので、着いていってみることにした。

老若男女、お店の人にお客さん、みんな驚いて振り返る、振り返る(笑)

その様子を見ていると、ひとつ頭の中で難航していた

ギャグ・キャラクターの設定を、ぱかっと閃いたのだった。

育児というか、

子供のアナーキーさは、案外、頭脳労働にいいのである。
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by yasunari_suda | 2008-09-14 02:30 | [笑育日記]
2005年 09月 02日

人生の大先輩をペット扱いする

1歳になったばかりの娘。
いろんな成長が著しい。
大人のマネをして、すぐに覚えてしまう。
妻がうちにいる三匹のネコに
「チッチッチュッチュッチュッ!」と、舌を鳴らすので、
娘も「チッチッチュッチュッチュッ!」と、舌を鳴らすようになった。
が、娘の脳の中には「可愛い動物だから舌を鳴らす」という
理解&お約束は、まだないらしい。
とにかく、自分よりも低い目線にいて、
動くものを見ると目で追いかけながら「チッチッチュッチュッチュッ!」とやる。
が、舌を鳴らすべきもの と 鳴らさないものの区別はあるらしい。
試しにミニカーを走らせてみたが、反応しない。
走るヌイグルミを見ても「チッチッ」と言わない。
床を走るゴキブリを見ても手を伸ばしてつかまえようとするが、舌は鳴らさない。
金魚にも同様である。
どうやら、現時点では、
自分よりも低い目線にいる動く、温血動物を見ると「チッチッチュッチュッチュッ!」とやる
という回路になっているらしい。
(カエルは、まだ試してないのですが)

昨日、自転車の前に娘を乗せて、近所の住宅街を走っていた。
すると、近所の80を越えているオバアちゃんが歩いていた。
お元気そうだが腰が曲がって小さく。
なかば地面を見ながら歩いている。
オバアちゃんの傍らを通り過ぎようとした、その瞬間。
突然、娘が「チッチッチュッチュッチュッ!」と、オバアちゃんに向かって。
「これっ!自分の80倍も生きてる人生の大先輩に向かって!」と、
思わず、軽く叫んでしまったのでした。
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by yasunari_suda | 2005-09-02 13:26 | [笑育日記]
2005年 08月 04日

常識を破壊されました

いわゆるクリエーティブみたいな仕事をしていると、
いちばん大切になってくるのが、新しい発想です。
その新しい発想がどこから生まれてくるかというと、
まあ常識を破壊することだったりするわけですね。

ものを書いたり考えたりしていて、発想に詰まると、
軽く常識を壊してみると、いろんなアイディアが湧いてきます。

たとえば、
いつもと違う道を歩いてみるだけで、かなり刺激は多いものです。
他には、
いつもと違う別のポータル・サイトのニュースを見てみたりとか、
いつもはバカにして見ないTV番組を前向きに見てみたり、
いつもは絶対に入らない店に入ってみたり、
世界地図を南極を上にして眺めてみたり、
大阪出身なのに九州弁を使ってみたり、
いつもは絶対に醤油をかけて食べるものにソースをかけてみたり、
そんなことが脳のマッサージになったりするわけです。

つい先日、なにをやっても原稿が前に進まないという事態に陥りました。
笑いの法則みたいなものを考え書いていた時のことです。
2日ほど煮詰まるという経験をしました。

そんな時、妻が「わっ!」と軽い悲鳴をあげました。
綿棒で11ヶ月になる娘の耳と鼻を掃除していた時、
妻が手に持つ綿棒の先には、ありえない大きさのハナクソ!
1円玉と比べてみるとビックリです。
よく考えると、大人でも、そんな巨大なハナクソをは。あり得ません。
しばし驚き。娘の鼻の穴の大きさと、ハナクソの大きさを比べ、
Mr. マリックのショーを見るような気持ちにとらわれました。
いや、こっちの方がスゴイ。だって、種も仕掛けもないんですから。
そんなこんなで、赤ちゃんのハナクソは可愛くて小さなモノという
常識を破壊された僕は、
その後、スピーディーに原稿をまとめることができたのでした。

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by yasunari_suda | 2005-08-04 13:59 | [笑育日記]
2005年 07月 05日

生後10ヶ月のジャケ萌え

最近、経堂のハスキーレコードで、
ジャケ買いをしてしまう私ですが、
10 ヶ月になったばかりの娘も、同じ血を受け継いでいるかも。
歩行器にのってヨチヨチCDラックに接近するやいなや、
「うわ〜っ!」っと、まるで嵐のようにCDを手に取っては、
ジャケットのデザインをちらりと見ては、床に次々ポイ捨て。
歩行器の周りは、瞬く間にCDの山です。
が、なかに気に入ったのがあると、
なんともいえない神妙な顔で じーっと、眺めるのです。
初期のお気に入りは、
矢野顕子さんの『あそこのあっこちゃん』。なるほど。
そして、次に、スティングや矢沢永吉さんたちが参加した
『music of love』。ハートに顔のキャラに萌えたようです。
お次は、マドンナでした。

ここまでは、まだわかる。

が、昨日のこと。
またCDラックの前で、一枚のCDをじーっと見つめて
固まっていると思ったら‥‥‥‥‥
それは、
東京オリンピックの年(1964年)に
お亡くなりになった落語家の八代目・三笑亭可楽師匠の
「らくだ」「富久」が収録されたCD。
十数年後、こんな彼氏をうちに連れてきたらどうしよう!?
試されるなぁ〜。
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by yasunari_suda | 2005-07-05 12:04 | [笑育日記]
2005年 03月 28日

猛獣使い

朝、ユリノキ通りを歩いて事務所へ。
そろそろ花見の季節ですな。
夕方、妻が新宿へ仕事の用事。
その間、小さな猛獣と留守番。
猛獣使いは大変だ。
でも、妻の大変さは、ぼくの7000倍くらいに違いない。
妻の帰宅後、笑いに関する文章と経堂に関する文章を書く。
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by yasunari_suda | 2005-03-28 09:50 | [笑育日記]
2005年 03月 19日

他人にも自分と同じように快・不快があるという認識が始まった?

昨年の8月30日に生まれた娘の最近の大きな変化は、
「他人にも自分と同じように快・不快があるという認識が始まったかも知れない」
ということだろう。
2日前、仕事を終えて自宅に戻ると、初めての光景を目にした。
それは、うちの娘が、愛してやまない”おしゃぶり”をチュパチュパ吸っている時、
妻が娘に向かって「おかあさんにもチューチュー(=おしゃぶりのこと)ちょうだい?」
と何度かいうと、右手でおしゃぶりを取って妻の口に押し込み嬉しそうな顔をする。
しばらくすると、またおしゃぶりを妻の口から奪って、自分の口に持っていき、
安心しきった顔でチューチュー吸うのだが、
再び妻が娘に向かって「おかあさんにもチューチューちょうだい?」と言うと、
また右手でおしゃぶりを取って妻の口に押し込んで見せる。
これには驚いた。
ほんの少し前までは、赤ん坊だから仕方がないが、彼女が住んでいる世界は、
100パーセント自分中心の世界だった。
”おしゃぶり”や食べ物など、自分の快感原則を満たすものは、自分のためだけに
あるものだった。
それが少し変化を見せて、100%自己中心の世界が、99.5%くらいの自己中心に
変化しているように思えるのだ。
それには、ある前兆があった。
それは、一週間ほど前の夜中、
寝ていたぼくは、「痛っ!」という妻の絶叫で目が覚めた。
授乳中の妻が、ちょうど生えてきたばかりの娘の歯で噛まれたのだった。
「噛んだらアカンやろ!」と睨んでみせる妻。
母親の大声にビックリして、目を見開いている娘。
が、再び飲み始めると、また母親の乳首に歯を立てる娘。
「痛っ!噛んだらアカンいうてるでしょ?」と睨んでみせる妻。
母親の大声にビックリして、目を見開いている娘。
が、再び飲み始めると、また母親の乳首に歯を立てる娘。
そんな繰り返しが何度も続いた。
妻は真剣に娘を睨んでいる。
が、その時から、娘は一度もお乳を噛まなくなったという。
噛まなくなった理由は、単に「噛めば→怒られる→怖い→
不快→噛むのをやめよう」という条件反射的なものもあるかも知れないが、
これは、ぼくの想像だが、、
たった六ヶ月と少しの娘は、薄らとかもしれないが、
「自分が嬉しくて行った行為が他者(この場合、自分の母親)にとっては
不快かもしれない」と想像することを始めたのでは?ということだ。
それは、自分以外の他人にも快・不快があると理解する第一歩で、
「おかあさんにもチューチュー(=おしゃぶりのこと)ちょうだい?」
言われて、右手でおしゃぶりを母親の口に押し込み嬉しそうな顔をするのは、
他者の喜びと痛みを理解した上で行うコミュニケーションの行為の第一歩
なのではないか。

これまでのところ、娘が笑うのは、自分の快感原則が満たされた時が基本。
娘の辞書(そんなものがあるとして)には、「快感とは自分の快感である」と
定義されているのみだったから。
が、自分以外の他者にも快・不快があるという認識が始まったことで、
また新しい笑いの可能性が広がったと考える。

一家でブドリカフェ。ブランチの後、事務所の掃除&整理。
高橋さんと電話打ち合わせ。仕上がりが楽しみ。近所で夕食。
その後、放送作家の山名さんと「大根や」さんで軽く飲みながら、
いろんな話。
自宅に帰還後、電話打ち合わせ。その他。
コラムを書いている『QUICK JAPAN』を読みながら寝る。
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by yasunari_suda | 2005-03-19 02:19 | [笑育日記]
2005年 02月 23日

変な顔が通じない!

六ヶ月になる娘の「笑い」が変わってきたと前に書いた。
いちばん近しい存在である妻が「いないいないばあ!」をすると、
声をあげて笑うようになった。
見えない親しい顔が突然現れると、笑う。
要するに、「驚き→笑う」という回路が形成されつつあるのだ。
ぼくが 「いないいないばあ!」をしても、笑うようになった。
が、「驚き→笑う」という回路は形勢されるようになったが、
まだ反応がないものがある。
それは、変な顔に対する反応だ。
娘と目が合った時、たまに目をギョロリとしたり、
豚みたいな鼻をしてみたり、両手で顔を挟みつけたり、
いろんなニラメッコを奇声を発しながらしてみるのだが、
あまり反応がないのだ。
が、なんの面白みもない真顔でも、本などで顔を隠して、
「ばぁ〜!」とやると、急に声をたてて「きゃはっはっ」と笑うのだ。
つまり、六ヶ月の娘は、「驚き→笑う」という回路は持っているが、
「お約束のコードがハズれる→笑う」という回路を持っていないのだ。
「驚き」は、人の原始的な恐怖と笑いを導く。
たとえば、あなたが見ている映画の主人公が夜道を歩いている時、
突然、「わ〜っ!」という叫び声と共に顔が主人公の前に飛び出てきたとする。
腰を抜かして絶叫する主人公の前に顔。
その時、
その顔が貞子の顔なら、あなたは恐怖に襲われるだろう。
その顔が坂田利夫の顔なら、あなたは笑ってしまうだろう。
驚きの感情は、恐怖に発展する場合と、笑いに発展する場合がある。
驚かせるものの正体に危険性を感じるものの場合は、恐怖。
驚かせるものの正体が危険性を感じさせないものの場合は、笑い。
ということになると思う。
だから、知らない人が「いないいないばあ!」をすると、
泣くのではないか?
それは、「いないいないばあ!」の直後にくる驚きがまずあって、
驚きに続く、「いないいないばあ!」をしている人の認知の段階で、
知っている人なら笑う、知らない人なら泣く、ということのように思う。
驚きの笑いは、お約束のコードがハズれたことに起因する笑いより
原始的なのだろう。
最近、娘は、うちにいる三匹のネコの存在もかなり認識するようになってきた。
自分の周りにネコがいると、かなり興味深そうに目で追い観察するように
なってきた。
それは、自分にオッパイをくれる母親やオシメを替えてくれる父親を
「自分の物理的な快感原則を満たしてくれる存在」ということで認識する
のみに終始するレベルを超えている。
ネコは自分の物理的な快感原則を満たしてくれる存在ではないが、
なぜか気になって、思わず目で追ってしまうというのは、
自我が芽生え、自分があるように他者があることが何となく薄らとだが
理解できてきたことの現れなのではないかと思う。
しかし、まだうちのネコが娘を笑わせることはない。
今の段階だと、うちのネコが娘に向かって「ワン!」と鳴いても、
笑うことはないと思う。
娘はまだ、ネコが「ニャー」と鳴くべきだというコードを持っていないからだ。
しかし、ネコを使って「いないいないばあ」をやってみたら、
ひょっとしたら笑うかもしれない。

夕方、桑島さんと生ゲノムWEBサイトetc.の打ち合わせ。
その後、アニメの打ち合わせなど。
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by yasunari_suda | 2005-02-23 02:48 | [笑育日記]
2005年 02月 18日

乳児における社会性の芽生えと笑い

最近、もうすぐ六ヶ月になる娘の「笑い」の質が変わってきた。
まず何が変わったかと言うと、
「笑い声」の感じが変わった。
笑い声を文字で表現するのは難しいが、
以前は、「きゃきゃっきゃっ」と喜びを原始的に表現する感じだったのが、
先週の半ばくらいから、「きゃ〜きゃ〜っきゃ〜っ」という感じなのだ。
と、書いたところで、その違いを伝わるわけありませんよね。
スイマセン

その変化のベースには、彼女自身の人間としての変化(成長)があるようです。
というのも、
先週の半ばに妻が、
「この1日か2日で、この子、寂しいいう感覚がハッキリ出てきたわ」とのこと。
それは、たしかに。
それ以前も、たとえば、妻がキッチンで料理をしている時に
隣の居間に寝かせられていると、「うーうー」うなって、
「ママ!こっちに来て!」という信号を送ることは常だった。
しかし、その信号に反応して、妻が彼女の視界に現れると、
まず娘の視線が向くのは、妻の胸=母乳を出してくれるオッパイだった。
もちろん瞳も見るが、同時にオッパイは最大関心事。
つまり、「母親=お腹を満たしてくれる母乳の供給者」という理解が、
彼女の脳内を100%近く占めていた。
しかし、先週の半ば以降の娘は、
まったく同じシチュエーションで、妻がキッチンで料理をしている時に
隣の居間に寝かせられていると、「うーうー」うなって、
「ママ!こっちに来て!」という信号を送るのだが、
妻が彼女の視界に現れると、まず娘の視線が向くのが、
妻の瞳になったのだ。
生後まもなく六ヶ月、
お母さんと目を合わせたいという意志が出てきたようなのだ。
そのことは、つまり、
母親に「人格」を感じはじめてきたということではないだろうか。
以前は、母親=お乳だったのが、
いまは、お乳が母親の一部であることを理解して、
お乳をコントロールする母親の瞳に訴えるようになってきた。
そして、母親という他者の人格をうっすら認識するようになると同時に、
自分の人格も発揮するようになってきた。
もちろん自己主張は以前からあった。
気に入らないことがあると「うーうーうー」と唸り、
エスカレートすると泣きはじめる。
しかし、その頃の彼女が、「うーうーうー」で周囲の大人に
訴えたかったのは、
「腹が減った!暑い!寒い!痛い! (ウンチ してお尻が)気持ち悪い!」
などの物理的な快感原則に伴うものばかりだった。
が、先週半ばからの「うーうーうー」は、
上述した快感原則を超えたものが多くなってきた。
たとえば、寝室に独りで寝かされている時に「うーうーうー」と
かなり激しく言っている。
その言葉に反応して寝室にいく妻を観察してみると、
妻の瞳を見て ニコッ!と笑っている。
オシメをチェックすると、オシッコもウンチもしていない。
お乳をたっぷり飲んで30分しか経っていない。
室温もちょうど良く、暑くも寒くもない。
痛くも痒くもなさそうだ。
そして妻に抱っこされてニコニコしている。
要するに、その時の「うーうーうー」の意味は、
「あたちを独りにしないで」のような意味の社会性のある
メッセージを含むものなのだと想像する。
妻が「バア!」とおかしな顔をしてみせると、
「きゃ〜きゃ〜っきゃ〜っ!」と、けたたましく笑う。
産まれて一週間後には、ニッコリする笑顔をビデオに
収めさせてくれた娘で、育つにつれて、大声で笑うように
なってきていたが、
笑いの性質が大きく変わったと感じる。
以前は、基本的に、
「腹が減った!暑い!寒い!痛い! (ウンチ してお尻が)気持ち悪い!」
などの物理的な快感原則を満たしてくれることに対する笑いだったのだ。
(赤ちゃんは、本能的に周囲の人に訴える笑顔を持っていると言われるが)
しかし、この新しい笑いは、物理的な快感を超えた、精神的な快感に
基づく笑いのように思える。
妻が「バア!」とおかしな顔をしてみせると、
「きゃ〜きゃ〜っきゃ〜っ!」
妻が「バア!」とおかしな顔をしてみせた時の
「きゃ〜きゃ〜っきゃ〜っ!」という笑いは、
あきらかに物質的な快感ではなく、
より高度の精神的な快感が刺激された笑いのような気がする。
「おかあちゃんに相手にしてもらってうれちぃ」なのだ。
お腹の飢えを満たすための感情表現ではなく、
心の飢えを満たすための感情表現がスタートしたということかな。
より高度の精神的な快感は、社会を営む動物である人間として
育ってゆく基本条件だと思う。
そんな社会性の芽生えが、
「この1日か2日で、この子、寂しいいう感覚がハッキリ出てきたわ」という
妻の言葉につながる。
「おかあちゃんがいてうれちぃ」→笑う
「おかあちゃんがいなくて寂しい」→泣く
という快と不快に基づく両極にある感情の振れ幅が、
大きく、そして複雑になっていくことが、
要するに、「成長」するということなのだろう。
いまはまだ、寂しさが癒された ところで笑っているが、
これから、それが如何に複雑化・高度化してゆくのかは、見物である。
モンティ・パイソンのジョン・クリーズも、ガルシア・マルケスも、
五代目・古今亭志ん生も、どんなユーモアの遣い手も、
はじめは、うちの娘と同じ赤ん坊だったのだから。

事務所で諸作業。
弊社制作番組のプレビュー×3。
なんだかスゴイことになってきた。

夜遅く、放送作家の山名さんとバンチキロウ。
移住の苦労話などを伺う。
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by yasunari_suda | 2005-02-18 15:38 | [笑育日記]
2005年 02月 01日

ネコを使った赤ちゃん入浴術

首の座った五ヶ月過ぎの赤ちゃんの入浴も、それなりに難しい。
「わ〜わ〜ぎゃ〜ぎゃ〜」泣かれながら頭を洗うのも難しいが、
意外に微妙に難しいのが、首まわりの洗い方だ。
赤ちゃんは、頭と顔が大きく、首まわりにもたっぷりプルプルの
お肉が付いているので、首、特にアゴの下を洗おうと思ったら、
頭を後ろに少しのけぞらせて、スペースを作ってもらわないといけない。
ガーゼ・タオルを滑り込ませると、うちの子の場合、いやがることが多い。
しかし、ちゃんとマメに洗ってあげないと、すぐに汗疹が出来たりして
可哀想なことになる。

問題は、アゴの下にガーゼ・タオルが入るくらいのスペースを作るのが
意外に難しいということなのだ。
が、とっても良い方法が天から降ってきた。

それは、先日、例のごとく子供と一緒に湯船に浸かりながら、
どうやってアゴの下まできれいに洗ってやろうと考えていた時、
扉の隙間から、たまたま、ネコが入ってきた。
そして、その時、たまたま風呂場の扉に背を向けるように子供を
抱っこしていたのだが、たまたまその態勢でいる時に、
ネコが、ぼくの顔を見て「ニャー!」と、ひと鳴き。
すると、ネコに背中を向けていた子供が、ガバッと、
陸上の高跳びの背面跳びのように、首を後ろにのけぞらせて、
後ろのネコを見て、「にっ!」と笑ったのでした。
その瞬間、ぼくの目の前には、さっきから洗いたくて洗いたくて
しかたがなかった首が、はいどーぞ!という感じになっていた。
すかさず、石けんを軽く付けたガーゼで洗う。
いつもなら、首を洗われるのをいやがる子供が、その日に
限って、ネコをにらめっこしながら上機嫌。
洗い完了。う〜ん。ネコって役に立つな。
その日以来、子供の首まわりを洗うときは、ネコを呼び寄せて、
洗っています。

今日は、CGクリエイターの小野修さんが、弊社番組に出演のため、
経堂へ。
和やかな収録。
その後、演出のふっしーをまじえた三人で、宮古そばを食べ、
大田尻家で笑い、季織亭で稚鮎に感動しながら黒龍を飲み、
たのしい収録後のひとときを過ごしました。

風邪が来たなという感じだったので、ユンケルを飲み、
早めに就寝。
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by yasunari_suda | 2005-02-01 14:17 | [笑育日記]
2004年 12月 03日

育児と笑い

8月30日に女の赤ちゃんが産まれて、
新しい笑いの観察対象が、また1つ増えました。
それは「子供の成長と笑い」。
一人の人間が、オギャーと生まれてから大きくなるまで、
どのように笑いの感覚を成長させていくのかを
実際に見たり聞いたり感じたりできるからです。
いまはまだお腹がいっぱいとか気持ちいいとかに
反応してニッコリするのが殆どのように思います。
遊びたいモードの時に、こちらもニッコリして手を握って
かまってやるとニッコリ微笑み返してくるのは、
社会性と絡む笑いの胎芽のような気がします。
いまはシンプルな笑いが、どのように発達するのか?
案外、思春期になった頃には、
『モンティ・パイソン』を飯の種にする父親に逆らって、
ベタな笑いに走るかもしれません。
いまから片時も目が離せません。
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by yasunari_suda | 2004-12-03 12:27 | [笑育日記]